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Nagosui

Up one level Nagosui
「すべてはなごすいのために」

演奏会が終わった。

演奏会はおとといだったわけだが、もう昨日は疲れ切っていて何もする気が起こらなかった。塾の講義中も何だかぼんやりしていて、文法の授業ではしゃべってることと板書してることが違っていて、生徒に指摘される始末だった…。

しかしそれだけ疲れていたということは、翻って考えればそれだけ充実していたとか、本気で取り組めたとかいうことも言えそうで、演奏会をやったぜ!という実感が確かにある。うん、いいな。
主体的に取り組むということをしたのが久しぶりだったのかもしれない。他人の計画に乗るとか、成り行きで何かをする、という機会はあっても、自分たちで計画を立て、それを何とか実行しよう・成功させようと努力する機会があまりなかったのかな。

よくよく考えてみれば、普段の生活でも似たようなことがある。塾のふつうの講義では、今週はテキストのこの問題、来週はこの問題、とスケジュールが決まっているわけだが、ただ一つ古典の文法の問題だけはテキストも存在せず、自分で資料を作り、自分で講義の内容を考えている。もともと「古典文法」という講義は存在せず、フリータイムの時間に生徒たちの質問に答えていたらいつのまにか、「古典文法の講義やってみませんか?」というオファが来たのだった。
普段の講義では「教え方がいまいちだったなぁ」と思うことはあっても、古典文法の講義はそういうことを感じることはまず無い。この実感の違いが、テキストや資料の内容に依存するのか、自分の能力に依存するのか、モチベーションに依存するのかはよくわからないが、「なんだかうまくいってうれしい」という点で、今回の演奏会を終えたときの充実感と似たところがある。

こう考えてみると、自分ではちゃんとやっているつもりでも、まだまだ突っ込んでいける・努力していける余地があるようなことがたくさんあるのだなぁと反省させられる。如何に(他律でなく)自律して動くことができるのか。これは、大げさかもしれないけれど、自分の生き方を評価する上での一つの基準になるのかもしれない、と思った。

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なごすい水無月の宴

水無月の宴を聴いてきた。
プログラムは以下の通り。

・平和への行列(2001年課題曲)
・島唄
・コパカバーナ
・鳥の歌(ナウシカ)
・海の上のピアニスト
・ガリバー旅行記

平和への行列は何だかローストの曲みたいで面白かったがやや長い。島唄はペットの子がうまかったけど、照明が変わりすぎで気が散ってしまった。コパカバーナはパーカッションのソロがいまいち。

この後団長の挨拶があったんだけど、ちょっと長すぎじゃない…?

鳥の歌とピアニストはまったりめ。ガリバーは楽しかった。が、メリハリが無い感じ(豊田講堂じゃしょうがないか)。

全体的に、悪くはないけど良くもないという感じ。構成がずうっっっっと変わってないから、水無月のこの展開に飽き飽きしてるのかも。定演はかっちり、水無月は遊ぶ、みたいにアプローチを変えればもっと面白くなるような。


しかしこの人数はうらやましい。こんな人数でいつも合奏できたら幸せだろうなー。

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なごすい定期演奏会




たまたま仕事が休みだったので聞きに行くことが出来ました。
いつもこのくらいの人数で合奏できたら幸せですなぁ(・´∀`・)

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悲しさを奏でる楽器

バイオリンは直情的な深い悲しみを奏でるのに良い。
例えばクラリネットは孤独の寂しさを奏でるのには良いが、悲しさそのものを表現するには適していないように思う。少なくとも自分の感じる悲しさに通じるものは表現できない。
琴線に触れる、という表現があるように、弦という発音装置が持つ、感情の生々しさは管楽器のそれよりも優れているように見える。

吹奏楽をやっていていつも思うのは、どんなに管楽器が激情を表現しようと思ってもそれは0以上のものでしかなく、マイナスの境地に達するのには大きな困難を伴うということ。
感情の深淵に立つとき、果たしてそれを表現することができるのか?今までそれを表現しえた吹奏者がいるのか?

表現の限界が楽器の限界に制約を受けているとすれば、その苦悩は推して知るべし。いやその苦悩がその限界を超える唯一の方法なのかもしれない。私にはどんな音が出せるのか。

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心地よい風と一緒に

台風の影響だろうか、雲一つ無い青空の広がる一日だった。ときおり強く吹き付ける風が寝ぼけ眼をこじあけてくれる。

なごすいの合宿はいつもこんな天気だった。

毎日深夜までトランプだのゲームだの雑談などしてるので、当然毎日睡眠不足。普段麻雀漬けの学生にはキツイ時間の朝食が終わると早速の音だし。眠気満載の身体が次第に目覚めていくと、青空の下でパート練習。この時間がとても気持ちいい。

夏の蒸し暑さや強い日差しでもなく、秋の強く吹き付ける肌寒い風でもなく、そのちょうど真ん中のような、やさしく、さわやかな空だ。

そうだ、こんな日は楽譜を眺めながらなごすいの思い出に耽溺することにしよう。

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