文書操作
3つめの世界へ
先日の土曜日はなごすいの現役・OBの交流会でした。交流会があると何だかいつも感傷的になってしまって、頭の中をいろいろな思いや考えが交錯します。いったん言葉にしておかないといつまでも頭の整理がつかずに自制できなくなってしまうので、眠い目をこすりながらメモメモ。
演奏者として合奏に参加するときは目の前にある音符に翻弄されてしまうことが多いので音楽に対する見通しが悪くなってしまうのですが、指揮者としてみんなの前に立っているときにはそこそこ高い視点から音楽に対峙することができます。経験上そこには3つの世界があります。1つめは運動系の世界で、運指や息の使い方などが含まれます(motor world)。2つめは認知系の世界で、タイミングや音程・音量などの調整が含まれます(cognitive world)。3つめが創造の世界で、音楽によって何を表現するかといったことが含まれます(creative world)。これらはゆるい階層構造を持ちますが、インタラクティブでもあります。
誤解を恐れずに言えば、3番目の世界が貧しい音楽は感動を与えることができないんだろうと思います。1番目や2番目の世界を追求してもおそらく感動は与えられるのでしょうが、しかしそれはとても感覚的で、個人的にはさほど興味があるものではありません。やはり3番目の世界を伝えることができてこそ音楽だと思ってしまうわけです。
そこへたどり着くためには努力が必要です。1番目、2番目の壁を乗り越えてこその世界ですから、基本的な技術や知識、演奏する曲に特化した技術や理解が必要ですし、おそらくそれらを頭の中で自動化しなければ意識の資源がそちらに取られてしまい、3つめを外に出すことが難しくなってしまうでしょう。また吹奏楽は複数の人間で行うものですから、表現する対象を抽象化してそれを共有することも必要です。これは一朝一夕にできるようなことではありません。
しかしだからこそそれが表現できたときの喜びは大きいはずです。私が憂うのは、感覚的な快楽に耽溺するあまりその向こうにある世界を見ずに「これでよし」としてしまうことです。それももちろん音楽の一つのあり方かもしれない。そしてまたそれはそれで楽しいのも事実です。私もそれを感じます。しかしそこで止まってしまってはつまらない。そう思うのです。
音楽はいわゆる芸術です。音楽は科学だ、という人はそんなにいないでしょう。サイエンスを超えるためには何が必要かを考えることが3つめの世界へたどりつく一つのヒントになるのかもしれません。そしてその3つめの世界にこそ私は価値を感じるのです。
最初の壁すら越えられない私がこんな思いを吐露するのは恥ずかしいけれども、へたっぴぃなプロが音楽への熱い思いを語るよりも数億倍はマシなハズなので、そういう人たちを免罪符にしてもらうことにしよう。
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Nagosui
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creative world…かっこいいっすね。ガキの頃死ぬ程ギター弾いてたのを思い出しました(笑)まさに表現、なんかキてるときはこれって自分なのか?みたいなのが当時のテープに残ってたなあ、まあ下手なんだけど。
nyusukeさん、かっこいいなあ。
うおっ、このエントリにsakaさんからのコメントが付くとは思いませんでした。
ありがとうございます。
しかしやっぱり言葉にすると陳腐ですよね。
メモ用で、伝えようと思って書いてないのでなおさらなんですが、それでもsakaさんに伝わるものがあるのだとしたら、きっとそれが「気が合う」というやつなんでしょうね(・∀・)