合奏で大切にしたいこと
合奏すると言うことについての私の考え
「合奏を始めます」「今日は合奏しますか?」「今日の合奏でさぁ、~」等々、普段は「合奏」という言葉を何気なく使っていますが、合奏について深く考えたことがあるでしょうか?合奏中、その意義をしっかり見据えながら参加しているでしょうか?もちろんここで、合奏に参加するなら合奏についてよくよく考えて参加して欲しい、などとアホなことをいうつもりはありません。なごすいOBバンドは基本的に自由放任ですから、好きなように出席して自由に参加し、自分の楽しいようにやってもらうのが一番だと考えています。私も自由にやらせてもらっています。
しかし自分の考えを述べて知って貰うこともいいかなとも思うので、ここでつらつらとテキトーに書かせて貰うことにします。
合奏で大切なことと大切じゃないこと
合奏というのは(読んだままですが)「合わせ奏でる」ということです。
一方で、奏でるという字を使った単語は「演奏」「独奏」「二重奏」などなどたくさんあります。どれも奏でることについては変わりませんが、どのように奏でるのかという点において意味が違ってきます。これは「奏」の前にある漢字の意味によって変わります。即ちその「奏」の前にある漢字の意味が、その単語の意味においては非常に重要なわけです。
ということは合奏において一番重要になるのは「合わせること」であるはずです。合奏においては「合わせること」が最重要課題であり、複雑なパッセージを吹きこなす超絶技巧や、音程・音量を変えることなくロングトーンを吹き続けるような肺活量・腹筋なんかは、(もちろんそれがあるに越したことはありませんが)優先順位は低いわけです。極論すれば、適切な部分が合ってさえいれば、技術も肺活量もいらないと私は考えます。もちろんすべてが備わっていれば文句なしですが、別にプロの演奏家を目指しているのでなければそんなにがんばる必要もないかと思います。とりあえず一本線を引くとすれば「合わせること」が大切になるのであって、そこをクリアすればヨシとしよう、というのが基本的なスタンスです(またこれはいろんな技術レベルの人で構成されているなごすいOBバンドにとってはとてもステキなことだと思います)。
しかしこう考えると次の問題が出てきます。「合わせる」っていっても「何を」合わせればいいの?、ということです。
理論的な部分
音楽の3次元
何を合わせるのかということについての一つの答えは、「縦、ピッチ、音量という3つの要素を」合わせるというものです。もう少し三者の区別が付きやすいように言うならば「音長、音高、音量を合わせる」ということになりましょうか。すなわち、音の長さ、高さ、量をそろえるということになります。この3つは音楽における音の3次元となっており、基本的に音楽にはこれら3つの次元が不可欠になっています(現代音楽は除きます)。
この3つがどれだけ大切かということは、楽譜を見ればわかります。
一般的な西洋音楽(楽典に則った音楽)の楽譜を見るといろんな記述がありますが、まず、小節が横に続いていると思います(もちろん行が変われば下へ行きますが…)。これが音楽の時間軸になります。まぁそもそもわれわれ人間は時間の経過の中で生きているわけなので、時間のない音楽などありえませんが、とりあえず音楽には時間軸があるということは楽譜から知ることができます。
それからある一つの小節について見てみると、小節は五線譜から構成されており、その五線上に音符が配置されていると思います。五線のない楽譜はあり得ますが、それは打楽器などのそもそも音の高さを変えることのできない楽器の楽譜であって、ほとんどの楽器の楽譜では五線上に音符が並んでいるのがふつうです。この五線は音の高さを示すモノであり、五線がある限りそこには音の高さという次元が存在することになります。
さらに楽譜には一般的に「mf」や「p」など、その音の強さを示す記号が書かれていることと思います。もちろん無い場合もありますが、吹奏楽で扱う楽譜にはまず間違いなく付いていると思います。「音の強さ」と「音量」は完全一致してはいませんが、同じとみなしても、まぁ、そんなに間違ってもいないと思いますので、これは即ち、一般的な吹奏楽の楽曲においては、やはりこの音量という次元もまず間違いなく存在し、必要不可欠なモノだと考えることができるということです。
これらの3つの次元の記述は、おそらく楽譜の99%以上を占めているのではないでしょうか?この3次元の記述を削除した楽譜で演奏することは絶対にできませんが、この3次元以外の記述を削除した楽譜で演奏しても、さほどおかしな演奏にはならないでしょう。こう考えるとこの3つの次元が音楽にとってどれだけ重要なモノかということがわかります。
以上のように吹奏楽曲(あるいは一般的な西洋音楽といってもいいかもしれません)には「音長、音高、音量」という必要不可欠な3つの次元が存在しており、これら3つの要素を「合わせる」ことが非常に重要だといえるでしょう(99%くらい「合った演奏」になるから)。
機械VS人間
「縦、ピッチ、音量」の3次元を合わせることが「合奏」なのでしょうか?
ある意味ではこれは正しいといえるでしょう。実際合奏中に指揮者が「そこの縦合わせて」とか「そこピッチ悪い」とか、そんなことをいうことはよくあります。縦を合わせる、ピッチを合わせる、音量を合わせる。これを守ればある意味イイ「合奏」ができて、すばらしい演奏をすることができます。
しかし良い、とか、すばらしい、とかいうのは非常に抽象的な言葉で、どんな良さか、どんなすばらしさか、そういうふうにもう少し掘り下げて追究せねば意味がありません。「縦、ピッチ、音量」を合わせる、というのは、「正確で技術的に上手い」演奏をするためには非常に重要です。逆に言えばこの3つを合わせれば、とても正確で、技術的に上手い演奏をすることができます。しかし(ここから先は考え方によってさまざまですが)私が個人的になごすいで実現したいなぁと思っているのは、そういう上手さではありません。というかそういう正確さや技術的な上手さを追究するというなら、わざわざ人間が演奏することはありません。機械にやらせればよろしい。そして、そもそもそういうことをなごすいで実現しようと思ってもそれは無理な相談です(だって週に1度ほどしか練習しない素人集団なわけですから)。
それじゃあ何が合えばヨシとするのか。私の個人的な意見としては、みんなの頭の中にある音楽をぴったり合わせるということです。なごすいはプロではありません。練習する時間も、目的も人それぞれです。こういう状況で一番実現可能な、現実的解としてはこれがもっともよいものだと思います。
音楽を演奏することについては様々なレイヤーが絡んで来ます。もちろん技術的な面もそのうちの一つですが、そのほかにももっとメンタルな部分が関わっているでしょう。それをトータルで具現しているのが「演奏」という一つの行為であるはずです。正確で技術的に上手なアウトプットを追究するのも一つのアプローチではありますが、それが難しいという状況であれば、もっと他のよいアプローチを採ってみるというのが自然な考え方ではないでしょうか。
そういういくつかあるアプローチの一つとして「みんなの頭の中にある音楽を合わせる」ということを私は挙げたいと思います。もちろんこれは結構アバウトな方針であって、突き詰めればさらにいくつかの要素に分割できるものではありますが、みんなに伝わりやすい、概念化しやすいなどといったことを考えると、こういうふうに表現するのが一番良いような気がするのです。
頭の中の音楽
音楽には「予測・期待」に支配された要素が多く含まれています。「こういうタイミングで次の音を出せば縦が合うだろう」と期待して、そのタイミングに向かって口や手の筋肉を動かし、実際にぴったりと縦が合えば「ぴったり合って気持ちいい~」ということになります。
この時に頭の中で「こういうタイミング」と予測しているものは、予めCDで聴いて覚えていた演奏のタイミングであったり、指揮者が合奏練習の中で具体的に「こういうタイミング」というふうに指示したものであったり、あるいは普段一緒に練習していることから割り出したタイミングであったりするはずです。そしてもちろんタイミングだけではなく、その音楽に関する様々な情報が様々なリソースから構築されて頭の中に存在しているはずです。
「みんなの頭の中にある音楽を合わせる」というアプローチは、そういう頭の中にある音楽をなるべく同じものに近づけようとするやり方に他なりません。これをどのように実践するのかということについてはいくつかの方法があると思いますが、その具体的方法については演奏する曲や、練習に参加する人数、練習できる時間によっていろいろだと思うのでここでは述べませんが、私がこういうアプローチでもって合奏を行っているということは一応知って置いて欲しいなと思います。

